「美しき死・下」

種市襄=種市外科院長、八戸市在住

 作家柳田邦男が死に際の美についてよく書かれていますが、私の思い出の患
者さんについてご紹介します。

 キリスト教では、死は祝福されるもので悲しいものではないという考えで、
葬儀も仏教とは違い華やかな雰囲気で行われます。私の患者さんだった女性は
敬虔(けいけん)な信者さんでした。病気を克服しようとする意欲は強かった
のですが、治療もできない段階に進んでいました。あきらめの境地でしょうか、
心は落ち着かれていました。

 急に病気が見つかったもので、お元気なときに教会でアカペラのプロの女性
コーラスを招く計画を立てておられた方でもありました。来演の日には体力も
及ばず、余生もわずかで、とても教会に行って聴ける状態ではなかったのでし
た。

 なんとしても彼女に聴かせてあげたい。「病室で歌っていただけませんか」
という申し出をコーラスの方が快く受けてくださいました。

 ただ「自分の衰弱した姿を彼女らに直接見せるのは忍びない」という思いが
患者さんにあり、コーラスの方には病室の前で心から聖歌を歌っていただきま
した。患者さんの心情を思いやるあまり、彼女らも涙ぐんでしまいました。

 患者さんは「安らかであれ」というサイン入りのCDをもらい、感謝しつつ
一時小康状態を保って、それから天に召されました。コーラスの方々も、この
かけがえのない経験をご自分たちの心に深く刻まれたことでしょう。

 もう一人、別の患者さんの話です。以前に脳出血で公的病院で手術を受け、
見事回復された和尚さんがいました。人を救うお仕事を続けられていましたが、
末期がんで入院されました。ご自分の状態になかなか納得できなかったのでし
た。

 一方、奥さまの献身的な看護は心を打たれるものでした。脳出血の手術を担
当した医師に対して「おかげさまで社会復帰ができました」と感謝のお気持ち
を持ち続けておられ、その医師が専門の学会を開いた際には、その恩返しと
「門外漢の私には分からないのですが」と言いながらもご参加いただきました。

 医師に対してこんなに広い心で接してくださるご家族もいるものか、さすが
和尚さんの奥さまは違うのかなあ、と心に響いたものでした。患者さんも最期
には同じ思いを持ったと思います。

 医師と患者さんやご家族との信頼関係が崩れ、医師が心身を尽くして治療を
しても、場合によっては訴訟問題にまで発展する世の中になりました。今の風
潮が良いのか私にも分かりません。皆さまも考えてみてください。