「美しき死・上」

種市襄=種市外科院長、八戸市在住

 公的病院の勤務医から「先生、患者さんの入院をお願いします。もう病院で
の治療の効果も手段もなく、今後は安らかな生活を送るための緩和医療をお願
いしたいのですが」という連絡が入ることがあります。

 緩和医療とは、痛みを取るだけでなく、患者さんがいかに余生を豊かに過ご
せるかを考えるものです。

 がんの末期で夏の終わりに転院して来た方は、ご趣味が写真撮影でした。
「私はもう十分な年ですので」と、死に対して達観されていました。

 秋にご家族の車で十和田湖まで行き、紅葉を撮ってきましたし、職員一同の
写真も写してくれました。これは今でも診察室の壁に飾ってあります。

 年を越し、春まで永らえました。病室のベッドからは臥床(がしょう)しな
がらでも桜が見えるのです。いつもの柔和な顔で、西行法師の「願わくは花の
下にて春死なん その如月(きさらぎ)の望月のころ」の話をされ、ちょうど
そのころにご家族にお礼を言いながら亡くなりました。

 また、別の患者さんから大いなる遺産を頂いたことがあります。学校の先生
だった方で、習字を終生の支えとされておられました。

 あるとき、ご自分で筆で描かれた、絵入りの百人一首の色紙を見せていただ
きました。あまりにも美しく誠実な描写でしたので、このまま埋もれてしまう
のはもったいないのでお願いしまして、皆さまに見せることをお許しいただき
ました。その後、患者さんは従容として天に召されました。

 先日行われました「八戸市かるた競技小中学生大会」で、会場いっぱいに作
品が展示されました。子どもたちの感嘆の言葉を受け、おいでになったご遺族
も亡くなられた方をしのび、充実感に浸っておられました。

 開業医だからこそ規則も緩やかに、さらに患者さんがご自分の心を伝えられ
る中で、自由で安寧に残り少ない人生を満喫できるのではと思っています。

 今の医療の流れでは、公的病院での高度医療、急性期医療が終わりますと後
送医療機関に転院していただきたいのです。公的病院で十分な治療を施し、次
の患者さんが待たれているので退院を促しますと、「まだ痛いのに、なんで追
い出すのか」と文句を言われたりします。

 また、薬をもらいに来るだけの通院患者さんばかりになりますと、公的病院
で高度な治療をしたいという大きな使命感に燃えている勤務医が思いを果たせ
ず、失望感を抱くことにもつながりかねません。さらに医師不足を生む土壌に
もなってしまいます。

 八戸の場合は他の医療機関も充実しています。高度な治療が終わったら、か
かりつけ医に相談してその後の経過を観察、治療していくようにすべきと思い
ます。

 大きな病院だと安心というのは、これは大きな目で見ますと必ずしも正しい
ことではないのです。自分本位の考えだけではなく医療システム全体を見て、
その崩壊が来ないようにもう一度皆さま自身で考えてみてはいかがでしょう。