「癌の話あれこれ」
玉井皮膚科医院 玉井 定美
「癌出来て意気揚々と二歩三歩」之は1915年、当時東大病理学教室の教授
であった山極勝三郎博士が市川助手と共に、ウサギの耳にコ−ルタ−ルをくり
かえし塗りつけて遂に実験的に皮膚癌を作る事に成功した時の喜びを表したも
のと言われている。
山極博士は英国の煙穴掃除夫の家系の男子に陰嚢の皮膚癌が多いという統計的
なデ−タから、コ−ルタ−ルに含まれている或る種のものが皮膚癌を発生せし
めたのではないか、という仮説をたて、之を実験的に成功させたのであった。
人類が実験的に癌を作った最初の偉業出会った。
現在のように情報伝達が速やかに行われていたら、明治のこの時代にノ−ベル
医学賞が授与されていたであろう。
ヘントヘレナの孤島で独り淋しく配所の地を眺めて死んでいった一代の英傑ナ
ポレオンボナパルトの死因は胃癌であり、三人の姉妹もすべて胃癌で死んでい
ると言われている。
癌は体細胞の一部が、何等かの原因で自律性を獲得し、無限に増殖をはじめた
組織や細胞の集まりであると定義されている。
先に述べた兎の耳に出来た皮膚癌は繰り返し塗りつけたコ−ルタ−ルが関与し、
ナポレオンの胃癌は何か家系的なもの即ち遺伝的なものが関与していると想定
される。
癌の発生に関与する研究は近年急速な進歩を遂げ、職業、環境、発癌物質など
の知見、ウィ−ルスの作用や癌患者に於ける遺伝子の構造や作用の異常などに
ついて解明なされつつある。
発癌物質としてコールタ−ルに含まれている1・2・5・6ジベンツアントラ
センに強い発癌性があることが判り、更にコラントレン、バタ−イエロ−など
の数面種の物質に発癌性があることがわかって来た。最近では黄色米といわれ
世間を騒がした黄色の色素を発生するカビや、ダイオキシンなど枚挙に暇が無
い程である。X線又はラジウム治療に従事する人など放射線に曝露する機会の
多い人に皮膚癌が多く発生する事、胃癌は日本人に多く、肺癌、乳癌は英国、
前立腺癌、肝癌、が米国に多いなど人種や生活環境の影響も考えられる。
動物の癌ではその発生に関係するウィ−ルスが認められているが、人間ではT
細胞白血病など僅か数種類の癌でウィ−ルスの関係が明らかになっているに過
ぎない。癌患者の癌遺伝子や癌抑制遺伝子の構造や作用の異常が見出されてい
るが、その原因の多くは未知である。
以上、主に発癌について、現状の概略について述べた。未だ分かっていない事
だらけだというのが偽らざる所だが、治療に関してはその進歩は目覚ましく、
早期に発見すれば殆ど治癒するものが多いことを強調して終りとしたい。