「母乳とダイオキシン」

くば小児科クリニック 久芳康朗


●質問
初産,3か月の男児で,妊娠中から母乳で育てようと思い,産婦人科でも母乳
栄養を勧められ,現在完全母乳哺育です.しかし最近のニュースで,母乳には
ダイオキシンが高濃度に含まれており,赤ちゃんの摂取量は耐容量の20数倍も
高いと聞き不安になっております.3か月頃から人工乳に切り替えていった方
が良いという話も聞きますが,このまま母乳を続けても大丈夫でしょうか.

●Q&A

Q1.ダイオキシンとはどういったもので,どのようにして体に取り込まれる
のでしょうか.

 はい,ではまずダイオキシンに関するいくつかの基本的な事柄を確認してお
きたいと思います.

 ダイオキシンは枯れ葉剤の中に含まれていたことで有名ですが,当時は一般
の農薬の中にも含まれ,1970年代半ばまで使われていました.現在では,ゴミ
の焼却が主な発生源で,その他にも金属の精錬や紙の漂白など様々なところで
発生しています.

 ダイオキシンと一口に言っていますが,正しくはダイオキシン類と言い,
210種類もの塩素化合物の総称で,最近ではPCBの中で毒性の強いコプラナー
PCBという物質もダイオキシン類に含めて扱うことになっています.

 ダイオキシンの摂取経路は,その9割以上が食べ物からで,その中でも7〜
9割が魚介類,肉,乳製品,卵に由来しています.

 ダイオキシンは脂肪には良く溶けるので,体内の脂肪中に蓄積されます.一
部は肝臓から排泄されますが,腸から再び吸収されるので,一度体の中に入っ
たダイオキシンが半分の量に減るのに7年もかかります.しかし,母乳には
100ccあたり3〜3.5gもの脂肪が含まれているので,母体のダイオキシンが母乳
中に排泄されてしまうということになります.

Q2.母乳にはどの程度のダイオキシンが含まれているのでしょうか.

 厚生省の調査によると,コプラナーPCBを含めた母乳中のダイオキシン類の
濃度は,脂肪1グラム当たり22.2pg(1pgは1兆分の1g)で,1日当たりの摂
取量は体重1キロ当たり103.6pgとなり,今年引き下げられた耐容摂取量:4pg
の25倍以上という結果になります.25倍というと驚かれるかと思いますが,こ
の点については,あとでもう一度説明します.

 しかしながら,大阪府における凍結母乳の調査では,1974年をピークに母乳
のダイオキシン類濃度は半分以下に減っていることがわかっています.この低
下は,ダイオキシンを含んでいた農薬の製造中止によるものと考えられていま
す.

Q3.日本人の母乳は世界一ダイオキシン濃度が高いという話も聞きました
が.

 1993年に,日本の母親の母乳中に含まれるダイオキシンがヨーロッパ諸国に
比べて10〜200倍も高いというニュースが報じられ,それ以来日本人の母乳が
世界一汚染されているというのが定説になっているようですが,実際にはそう
ではありません.

 1980年代後半のデータによると,ヨーロッパ先進工業国で28〜40pg,日本は
20〜28,北ヨーロッパで15〜23,発展途上国で5〜6という結果で,他の先進国
とほぼ同程度になっており,その後も低下傾向が続いているのは今お話しした
通りです.

 ただし,ダイオキシンの年間排出量でみると,日本は1998年に2900gで,前
の年に比べて半分以下に減ってはいますが,それでもヨーロッパ諸国の数倍か
ら数十倍となっており,今後より徹底的なダイオキシンの排出規制対策が望ま
れるところです.
 
Q4.ダイオキシンが赤ちゃんの身体にはいるとどのような影響があるので
しょうか.アレルギーや免疫系に作用するという話も聞きますが.

 アレルギーに関して,母乳哺育の子にアトピー性皮膚炎が多いという説が広
く報道されましたが,これは検証の仕方に問題があることがわかり,現在では
明らかな因果関係を認めたという報告はありません.また,アトピー性皮膚炎
は増加の一途をたどっているのに対し,母乳中のダイオキシン濃度はこの25年
間減り続けており,ダイオキシンがアトピーの主な原因となっているとは考え
られません.逆に,完全母乳がアレルギーの発症を防ぐということもわかって
きています.

 また,母乳を長く飲むことでアトピーが増えているという方もいますが,ア
トピーの子が母乳を長く飲むのは,人工乳や牛乳を飲めないアレルギー児に母
乳が必要だからです.これは,高血圧の人が塩分を控えているのをみて,「塩
分を控えると高血圧になる」と言っているようなもので,原因と結果を混同し
た議論と言えます.

Q5.母乳は人工栄養と比べてどのような違いがあるのでしょうか.

 ここでは詳しくは話せませんが,栄養の面でも感染症を防ぐといった免疫の
面でも母乳のメリットは大きく,また,母乳の成分はまだ十分に解明されてい
ませんので,人工乳はあくまでやむを得ない場合の代替品であり,母乳と並べ
てどちらかを自由に選ぶといった性質のものではありません.

 何よりも,人間は哺乳類であり,お母さんが赤ちゃんを抱きしめておっぱい
を含ませるその安心感と満足感の中で,母と子の結びつきが強まり,赤ちゃん
もお母さんも成長していきます.お母さんも知らず知らずのうちに母性の高ま
りを自覚し,心の底から我が子を愛し,母乳育児を楽しむ事が出来るようにな
るのです.

 ところが,ドイツでは1984年から10年間,母乳の汚染度によって生後4か月
以降は母乳を中止するように指導していたところ,断乳による精神的不安や動
揺,更には早期母乳栄養率の低下を来し,1995年にそれまでの指導を全面的に
中止したという経緯があります.私たちはこの失敗の経験から学び,同じこと
を繰り返さないようにしなければいけないと思います.

Q6.結論としては,この方の場合,母乳を続けていった方が良いのでしょう
か.

 これまでお話ししたとおり,母乳にダイオキシンが含まれているのは事実で
すが,その濃度は年々低下しており,またその影響は全くないとは言い切れま
せんが,これまで明らかに証明されたものはなく,今回の発表をもとに新たに
母乳を中止しなくてはいけないという根拠はないように思われます.

 厚生省の研究班の主任であった東邦大学の多田先生も次のように説明してい
ます.

 『母乳が他の物質と異なるのは,母乳には明かな利点があるということで,
母乳が不足したり与えられない場合に人工栄養にすることと,母乳哺育が可能
なのに子どもに母乳を与えることを禁止するのでは意味が全く異なります.人
類が哺乳類であることをやめてしまわなければならない程ダイオキシン汚染が
進行しているのか,ということが問題なのです.
 これまでに母乳を与えたことによる異常の報告がないこと,母乳の摂取期間
には限りがあること,体内に蓄積したダイオキシン類は子どもの体重が増加す
るので濃度的には次第に薄まることなど,現在までに知られている所見からは
母乳を中止すべきであるとする根拠はないと考えられます』

 WHOでも同じような勧告を出しており,欧米でも母乳を禁止している国はあ
りません.

 ところで,母乳が汚染されているということは,実は胎内(お母さんのお腹
の中)ですでにダイオキシンに暴露されていたということを意味しています.
最近問題になっているダイオキシンの環境ホルモンとしての作用も,胎児期に
より強く影響すると考えられます.出生前の影響も含めて考えると,母乳を与
えるか否かを議論するよりも,胎児への影響を解明し,母体への蓄積を減少さ
せていくことの方がはるかに重要なのです.

 また,汚染度の高い母乳を飲んでいた赤ちゃんは生後7か月の時点での発達
指数がわずかに低いという調査結果があるのですが,母乳を4か月以上飲み続
けた子は,逆転して人工乳の子よりも指数が高くなっているのです.つまり,
胎内からの悪影響が母乳の利点によってうち消されたという可能性が示唆され
ています.

 ところが,こういった事実よりも,「母乳が危ない」というイメージだけが
先行して広がったため,「そんなに危ないものはやめなくてはいけない」と
いった憶測だけが広まり,そんな中で,「母乳育児は3か月までにしなさい」
という個人的な意見を述べる専門家があらわれ,医療関係者の中にも早期に人
工乳への切り替えを勧めるような人が出てきたのです.

 今回も,「25倍」という数字だけが強調されて,あたかも厚生省は「安全性
に問題はない」と言ってますが必ずしも信用できませんよ,というニュアンス
で報道されており,ただ不安を助長するだけの形になっています.

 母乳の中にダイオキシンが含まれていると思うと,その量がいくら微量で
あっても,心の底から母乳育児を楽しむ気には到底なれない,というのを「ダ
イオキシン・シンドローム」と呼んでいますが,あるいはダイオキシンの実害
以上に影響があるのではないかと思われます.

 母乳で育てているお母さんが罪悪感を抱くことのないような形で,周囲の人
もこの問題に対する理解を深め,安心して母乳で育てていけるような環境をつ
くっていくように努めなくてはいけません.その意味でも,マスコミや医療関
係者,家族・周囲の方々の言動にはより慎重な配慮が求められていると思いま
す.

 今日お話しした内容は,専門的な用語や数字などを含んでいるため理解しに
くかったかもしれませんが,インターネットの私のホームページに,今回の内
容と関連するリンク集を掲載しておきましたので参考にして下さい.

母乳とダイオキシン(くば小児科クリニック)


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